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誘惑編 第三十八話

Auteur: 麻木香豆
last update Dernière mise à jour: 2025-12-10 12:39:18

 風呂上りで温まった体がほどよく弛んで、寧人は妙に気分が軽くなっていた。

 ――マンネリを崩せる場所さえ見つければ、一護はきっと喜んでくれる。

 そんな未来をぼんやり想像していたのだが、胸の奥にはもうひとつ小さな棘が残っている。

 古田のことだ。今は問題なく働けているが、あの人の過去がいつ表に出るかは分からない。

 考えれば考えるほど、落ち着かない。

「一護、ちょっと相談したいんだが」

 同じく湯上がりで、髪からまだ水気の残る一護が湯呑みを差し出してくる。

「ん、どうしたの?」

「古田さんって……どう思う?」

「あぁ、あの人ね」

 一護の声は落ち着いている。けれど脳裏に思い浮かべたその姿には、複雑さが混ざっていた。

 最近はやっと“仕事仲間”として普通に接しているが、それまでは全く違う距離感だったから。

「まじめだし、営業はめちゃくちゃ強い。人脈も広い。あの人のそばで仕事するのは勉強になると思うよ」

 そこまでは普通の評価だ。だが次の瞬間、一護の表情がふっと曇った。

 ――気づいてしまった。遅すぎるくらいに。

 寧人の服。下着。

 微かに残る、他の男の匂い。

 何度か接したことのある古田のものだと気づくのは、一護にとって苦労のいる話ではなかった。

「どうしたの、一護……?」

「ん、別に。古田さんは勉強になるよ。ただ……寧人だって同年代の人たちに追いつかないと。このままだと名前だけのリーダーで終わっちゃう」

「そうだよな。いや、今は僕の話じゃなくて古田さん――て、一護? 何でさっきから俺の足の指触ってんの?」

 そのときになってようやく気づく。

 一護の視線は、寧人のスネ毛と足の指毛に固定されていた。

 一護は無言で立ち上がり、クローゼットをゴソゴソ漁る。

 戻ってきた手には小さな箱。

「……それ、なぁに?」

「脱毛機。シェーバー機能もある。」

「ひぇっ! 別にしなくていいから! ねっ? 一護?」

「痛くしないよ」

 口では優しげだが、目はまったく逃がす気のないやつだ。

 そして手の中に握られているのは、しっかりとシェーバー。

 寧人の背筋に、風呂上りの温もりとは違う冷気が走る。

「さて、風呂場に行こうか」

「えええええっ!!?」

 一護は完全にスイッチが入ってしまった。

 静かに嫉妬が燃えるとこうなる。

──このあと悲鳴が上がるのは、ほぼ確定だった。
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